久しぶりに歌舞伎と能を観てきました。その話を。
歌舞伎とオペラ
まずは歌舞伎のほうから。東銀座の歌舞伎座で、ある日の第三部を観てきました。今、飛沫感染対策で観客の掛け声が禁止なんです。寂しかったなあ。「待ってました!」「中村屋!」とか聞きたかった。もうちょっとの我慢、ですね。
後から思うと歌舞伎鑑賞のときは気持ちに余裕があり、何枚か写真も撮ってた。間の休憩中にお土産屋さんで飴を買ったりとかして。「ここは歌舞伎揚げでしょう」とか笑ったりして。
海老蔵さんが出演されていたかせいか、満員御礼でした。お着物を着て良い席におられる方って、贔屓の役者が出演する回だけ観て帰ってしまわれる。なんでか。そもそもそういうものなのか。色々な楽しみ方がありますね。
私が一番興奮したのは、子役が登場した演目。両親役と3人で踊る姿はお人形みたいで、めちゃくちゃ拍手してしまいました。男の子(つーか、お父さんお母さん子供、全員男性だけどさ)が、ゼンマイ仕掛けのように手足を動かして頭カクンと見得を切る。ハハハ!うそでしょ?って感じで。
舞台セットも衣裳も豪華だし場面転換もあり、楽団(囃子方ね)も素敵だし。セリフもそこそこわかるけど、まあ言葉がわからなくても十分楽しめる。オペラと共通点が多いなと思います。チケットが高いというのも同じか…。
能「鍾馗(しょうき)」
次に、能のお話。国立能楽堂には、いつも小田急線の参宮橋駅から歩いていく(ローカル)。
毎年「Discover NOH & KYOGEN(外国人のための能楽鑑賞教室)」というのを開催されていて、ファンです。今回は「鍾馗」でした。
英語による解説に続き、狂言「墨塗」と能「鍾馗」をお楽しみいただきます。日本語、英語、中国語、韓国語、スペイン語、フランス語の6ヵ国語の字幕で皆様の鑑賞をサポート。狂言・能の説明やセリフに加えて、解説の翻訳も表示されますので、英語が苦手なお客様でも安心。海外からのお客様を含め、能楽(能と狂言)を初めて観る方にピッタリの公演です! (特設ページより)
↓かっこいいリーフレット
↓鍾馗さん
鍾馗 東川光夫 撮影=亀田邦平
https://www.ntj.jac.go.jp/topics/nou/2022/discover-noh-kyogen2.html
あらすじを拝見しています
狂言「墨塗」もよかった。おもしろいときは、普通に声を出して笑ったり噴き出していいのよ。とてもリラックスして鑑賞できました。
休憩を挟んでいよいよ能「鍾馗」。
あらすじは、試験に落ちた主人公が絶望し階段から投身自殺するも帝のお情けで官位を賜ったのが嬉しくて守護神になるっていう。いろいろ「?」なんだけど、そこはいいんです。なにしろ時代背景が全然違うもんね。
能のストーリーは単純明快。でも、せっかく観に行くときはもう少し内容を知っておきたい。ですのでいつも事前に、どなたかが上げてくださったネット記事を読んで概要を把握しております。
本当に助かっています。書いてくださっているみなさん、ありがとう。
ショウキさんとフリーランス
それで今回、鍾馗さんを私流に書きとめてみました。妄想フィルターを通し過ぎてるのでフィクションです。すんません。これも情報デザインかも。
では、はじまりはじまり。
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皇帝に対して某案件のプレゼンを命じられた地方に住むフリーランス。上京途中、怪しい男から突然声をかけられる。
「あの、すみません」
「(誰? なんか地味な、黒髪ロン毛)…はい?」
「私は、国に尽くすため鬼を滅ぼすと決めた者です。
「(こわっ!)あ、あなた誰ですか?」
「ショウキと申します。
「???」
「猛勉したんですけどね。人生なんてはかないもんです。けれども、私の
「!!!(これヤバイやつ)」
「証拠と申しましてはなんですが、
動揺するフリーランスの前を僧侶が通りかかる。事情を聞いた僧侶。ショウキのために法華経を唱え始める。
すると、2人の前に先程の男ショウキが戻ってくる。
ボウボウに振り乱した真っ赤な髪。鬼のように恐ろしい顔に、見開いた目玉。
と、悪鬼が出没。
勇ましく剣を奮うショウキが、悪鬼を成敗する。みごと国を護ることを成し遂げたショウキ。澄み渡る天に浮かび上がり、ゆっくりと宙に消えていくのだった。
おしまい
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能>歌舞伎
今回続けて歌舞伎と能を鑑賞して感じましたが、私は能のほうが向いてるみたい。歌舞伎はエンタメ色が強く受け身で楽しむ感じ。オペラもそうだし映画もそう。監督の想いを伝えてもらってる。
一方、能は自分から取りにいくイメージ。努力してそうしているわけではないんだけど、能動的に作品へ没入しトランス状態になる感じ。
中央ステージ(本舞台)につながる左の廊下(橋掛かり)を、ゆっくりゆっくり止まりそうなほどゆっくりと、主人公(シテ)が歩いて来る。それを体で感じた瞬間、やばいやばいやばい、きたきたきた、となる。それからもう猛スピードで自分の世界に入り込んでいくわけです。
なんかコワい! でもそこが好きなんだろうなあ。
「鍾馗」は室町時代の作品といわれています。600年前って不思議すぎるでしょう。どうしてそんな大昔のお話に、こうも共感できるのか。たぶん私の場合は、自由に解釈できる場を与えてもらっているから。あそこに行ったら、なにしてもなに感じても良い。妄想1000%で、ただ座ってれば良い。だからかな。
映画やドラマで自分の趣向とほんのちょっとでも違うと、「あっ」ってなって距離が生まれてしまう。能は舞台からヒントを与えてもらって、その表現部分を自分でやってるような感じ。その余白がありがたいというか…? 意識してないから自分で何をしてるかわからない。
それに、当時の人の楽しみ方とも違うんだろうな。作者もまさか、600年後にこんなこと言われるとは思ってもいなかっただろうなあ。
でも現代においても、能ってみなさん、どのように楽しんでおられるのだろうか。「なんで好きなの」って聞いても、伝統とか歴史とか、衣裳とか、いやそういうことじゃなくてそれ以外ではどうでしょうかね。
さてさて今回は、ショウキさんが本当にかわいそうで仕方なかったです。特に、後半の神霊になって現れた姿。もらった制服を着て、つっても、もう死んじゃってるのにさ。それでも嬉しくて制服を着て、ぼっさぼさの赤い髪の上にちょこんと小さな冠を載せてるわけ。顔は鬼みたいになのにね。
↓ヘアスタイルはこういう感じのおしゃれな赤毛
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あ~、もう切ない切なすぎる。やめて。思い出すと泣きそうになります。
でも、Yes, 能! またいきたい。
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