「ダイアログ・イン・サイレンス」に参加して。(感想は、いつもの妄想ですが。)

 

 

ダイアログ・イン・サイレンスとは?

みなさん、夏休みの真っ最中でしょうか。びっくり37度の日以来、日本はさっぱり夏らしくないですね。去年の今頃はちょうどオリンピックでしたリオ。で、ジャネイロ!

参考:https://314-store.com/blog/デザイン/【リオ・オリンピック】オール17日間堪能した。付/ ‎

 

サンデー毎日の私は、リオのオリンピックを観ながらブログを書いていました。猛暑日が続いていたことを良く覚えています。エアコンが効かないくらいの暑さ。一方、今年の今朝は扇風機の微風で十分ですわ。

そんな過ごしやすい今年の夏、「ダイアログ・イン・サイレンス」に行ってきました。

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~静けさの中の対話~

言葉の壁を超えて、人はもっと自由になる。

音のない世界で、言葉の壁を超えた対話を楽しむエンターテイメント、それがダイアログ・イン・サイレンス。

体験を案内するのは、音声に頼らず対話をする達人、聴覚障害者のアテンドです。参加者は、音を遮断するヘッドセットを装着。静寂の中で、集中力、観察力、表現力を高め、解放感のある自由を体験します。

そしてボディーランゲージなど、音や声を出さず、互いにコミュニケーションをとる方法を発見していきます。たとえ母国語の異なる人であっても、想像以上の交流が深まります。

 

1998年にドイツで開催されて以降、フランス、イスラエル、メキシコ、トルコ、中国と、これまで世界で100万人以上が体験しているそう。東京では8/20までの期間限定、チケットはsoldoutとのこと。

兄分に「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」があります。こちらは外苑前で15年以上に渡り常設だったのだけれども、いよいよ今年8/31までとなってしまいました。

ご興味ある方、最後の2週間かも。(たぶん再開されると思われますが・・・)

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アテンドさんの魅力

「ダイアログ・イン・サイレンス」では、音を遮断するヘッドホンを装着した参加者12人+耳の聞こえないアテンドさん1人で1グループとなり80分間を共有。

言葉を使ってはいけないゲーム等を、いくつか体験します。私が参加した回は、ニャンコさんという女性のアテンドさんがリード係でした。

まず参加者が釘付けになってしまったのは、アテンドのニャンコさんですよ。じっとしているだけで、もはやオーラがすごい。動けばキレキレだし。自己紹介されたとき、お芝居を勉強されていてダンスも歌もと、あれ?芸能人かアイドルかね?と。

後で調べてみたら、本当にそうだった。笑

公式ページ:http://gree.jp/nyanko_g

 

手話は上半身と表情が主な伝達手段ですが、「ダイアログ・イン・サイレンス」はエンタメ。全身を使います。そしてもちろんアイコンタクトも重要ですから、どうしても彼女を見ないとならないわけ。見つめ合うわけです。

その全身を使ったコミュニケーションは、なんと生き生きと魅力的なことか。これは。

好きになってまうやろーっ!って、なるよね。

( ☌ω☌)ジィー♥

ニャンコさん、素敵なアテンドをありがとうございました。

 

体験直後

最後の10分程度はヘッドホンを取り、手話通訳さんを迎えてアテンドさんに感想を伝え、その後アテンドさんは退場。各人が言葉や文字で感想を言い合う時間が設けられておりました。

顔の表情って重要なんだなとか。伝え合う気持ちが大切だとか。手話ってすごいなとか。それぞれ大きな気づきがありました。

私はというと、そのとおり表情なんだよなと、手話のときも夢中だからつい無表情になりがちなことを反省したりするも、直後はモヤモヤして良くわからなかった。

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と比較するも、視覚80%ってそうだろうなーと。やっぱりまずは目から情報が入るなあ。いやいやそういうことじゃないんじゃないと自分にツッコミを入れたところで、頭の中がどうも上手くまとまらなかった。

 

少したってからは、こんなことを

一晩したら、少し落ち着いて妄想ができるようになりました。

原始人は現代人よりすぐれている部分が多い、と言われてますね。私たちは、道具や機械がなければなーんにもできない。大雪の中に放り出されたら、すぐに凍死しちゃう。

他の動物と比べハード的にとても弱い。硬い皮膚も毛皮とかもないし、すぐ怪我しちゃう。ちょこっと擦っただけで。もー、弱いよ弱すぎる!さらに色を変えるなんてこと、逆立ちしたってできない。擬態とかもできない。

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そして力もない。空も飛べないし。ジャンプ力もないし。必死に飛び上がっても、ちょこんって感じよ。かわいさアピールか。

そんな人間は動物より弱いからこそ道具を使い発明し、また情報を送受信できるように生き残るため進化してきたとされています。本来持っている能力をハードやソフトで補っていると。

では、そこで。
ラスコーの壁画、見たことありますか。教科書とかで。

これ実は、入り口からもんのすごい距離がある真っ暗な洞穴の果てに描かれていたらしいというのは、ご存知でしょうか。

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だからお絵かきというか、ただ見せるための情報ではないのです。また、「こっちは危険!」というような、仲間と共有するための情報でもない。

いったいそんなに苦労してまで誰に何を伝えたかったのか、または秘密にしたかったのか。誰にも見つけられない所になぜ描くかっていう謎。

だからさ、おんなじ人間がしたことであり先祖が必死に重要なことを伝えてくれているのに今もって真実がわからないなんて、人間て頭悪くない?

やっぱ、原始人のがスゲエな。

 

これで、あってる?

思い至ったのは、人間は言葉(シニフィアン・シニフィエ)を作り、みんなで長い間育ててきているわけだけど、そもそもこの発明品でOK?ということ。

参考:https://314-store.com/blog/デザイン/シニフィアン・シニフィエを美大生は強制学習さ/ ‎

 

特に日本人て、無表情な方が少なくないですよね。クールジャパンか。

自分達の能力を補うために道具を作ったら、持っていた力まで失ってしまった。その道具のひとつが、言葉なのかなと。

言い表したり統一したり共有することに一生懸命で、その代わり犠牲にしているものがあって、おいおいそこ大丈夫かなって。そことは、なにか。

とても近い未来にAIが急速に普及し私たちの脳のメモリを補ってくれるとき、言葉の壁はすぐ越えるだろう。その国の言葉を知らなくても大丈夫。スゲー便利!

でも、実はほんの一部分の効率と引きかえにして、何かがどんどん失われてしまっているんじゃないのかね?言語というただの記号の共有をどんどん増幅させて、それ大丈夫なのかな?

人間は五感六感いろいろあるのにすべて置き去りにして、痛みや感情や体感が伴わない記号だけの情報伝達を強弱つけずに垂れ流しにしてるって、あれっ、これ相当ヤバイいんじゃない。

五感六感は芸術家や音楽家ががんばって刺激しているけど、それってコミュニケーションとペアではなくてどちらかというと非日常だよね。展覧会を見に行くとか。スマホで音楽を聴くとか。

本来は一緒になってないと、情報が抜け落ちているというかそもそもとっても不自然で不条理なんではと。

 

美大時代、太田先生に良く言われてました。

「てにをは」ひとつ違うだけでまったく別の意味になってしまう。言葉って、おかしくないですか?

 

あー、太田先生。今、やっとわかったよ。できの悪い生徒でごめんなさい。

こういうことなんですね。

 

そしたらもしかしてこのことに、もっと危機感を持たなければいけないのかな。

これでよかったのかな、人間は。よくなければ、じゃあどうしたらよかったのかね。そして、これからどうしたらいいのかな。

 

・・・なんて、思ったりしています。

 

すずめ

動物は、私たちよりずっと上等なやりとりをしている。

例えば家の近くにすずめのコミュニケーション場があるんだけど、みなさん時間を決めてすんごい効率的に情報共有しています。時計持ってないのにすごいNE!

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鳥類が記憶を持続できる時間は人より短いと聞いてるが、どうして集合し情報交換し保存ができてるのか。

そのうえ重要で複雑なことはDNAに組み込んで、時代が変わって(人間が変えてしまって)自分らの生活スタイルも変えざるをえないとなれば、大丈夫ちゃんと適応していく。すずめスゲーな、それに引きかえ人間てダメねと思う。

でも、すずめも少子化が進行しているらしくて、そこは人間に合わせなくていいのにな。ごめん、すずめよ!

 

・・・すずめの腕時計を作ってあげたら、どこに装着してくれるかな。すずめの腕って、いったいどのあたりかね。翼のつけ根かな?チラっと「いま何時?」って肩あたりを見てくれるかな?あそこに巻いたら飛ぶときバランス悪いから、要改良。それよか懐中時計のが可愛いかな。あれ、すずめのふところって、どこかね?

帽子も似合いそう。トリカブトって、すずめにちょうどいいサイズじゃない。

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のっぽさん的なビジュアルになるよね。ハアー、かぶったら可愛いだろうなあ。トリカブトの命名、センスあるよね。植物名ってさ・・・

 

・・・妄想力だけはあるんだけど。mi