映画によって気づかされる日常のこと。今回は『アイ、トーニャ』。日比谷シャンテで鑑賞。

 

 

ナンシー・ケリガン襲撃事件

1994年アメリカのフィギュアスケート界で起きた、ナンシー・ケリガン襲撃事件の真相に迫る映画です。最近の映画は、実話を扱うものが多いですね。ドキュメンタリーではないく、エンターテイメント性の強いやつ。「衝撃の実話!」、とか。

フィギュアスケート、オリンピック、ナンシー・ケリガン。トーニャ・ハーディング。覚えている方~?

トーニャ・ハーディングって、誰だっけ?あー!と、私の頭にパッと浮かんだのは、オリンピックでの一幕。アメリカ代表のハーディング選手は、リンクに登場し曲が始まり滑り出したもかかわらず、早々に泣き出したと思ったら、なんと演技を中断してしまったんだよね。えっ!!??

そして、審査員席の方へ滑って行ったと思ったら、ジャッジ達の目の前、リンクの縁に突然片足を「ドスンっ!」と載せて何かを訴えはじめた。えっ、訴えるって、何をだっけ?スケートの靴紐が切れたとか、だったか?

ナニこれ?と思ったんだよな。TVを見ていた当時の私は。フィギュアスケート風らしからぬ、そのポーズにもビックリした覚えがある。

そして、その記憶の中の私は、ハーディングさん可愛そう・・・などといった同情する気持ちはまったくなくて、あー、やっぱりねえとか、ハハハこうなっちゃうのかーとか、ハーディングそんなもんかいみたいな、とても否定的な気持ちなわけです。

えー?なんでそんな、過去の私よ。ちょっとアンタ意地悪っぽくない?演技を失敗しただかハプニングだか覚えてないけど、とにかく泣いてる人に対して、ハハハはないんじゃないの。

なんでそんな私、意地悪なんだっけ。あっ!

確か、その試合の前にハーディングがライバルを襲ったんじゃなかったっけ!いや、本人がじゃなく誰かに頼んで襲わせて。ライバルの足を棒で殴らせ怪我をさせて、オリンピック選考会に出られなくしたんだよね。その欠場したライバルが、ナンシー・ケリガンだ!

そうだった、そうだった。

もー、ライバルなんか邪魔だから消しちゃえ!というあまりに稚拙すぎて誰も信じない事件、フィギュアスケート=美しくてヒラヒラした世界とはかけ離れたスキャンダル。そして、その犯人がオリンピック優勝をかけて演技するということで当時、世界中が注目していたんだよね。ケリガンも怪我が治って、2人が対決することにもなってたんだよね。

もっと思い出したい方は、こちら↓。

参考:ナンシー・ケリガン襲撃事件

(トーニャはこのあと、プロレスラーになったんだよ。覚えてる!?)

 

 

どこを前面に出したか

 

出典:http://tonya-movie.jp/

 

映画自体が好きでいろいろと見ていますが、各映画を見終わった後は売る側の視点も確認したりします。1人でも多くの人に見て欲しいため、ターゲットをどこに置いたのかとか。見所をどこに絞ったのかとか。職業病かな。

それにより、鑑賞者である私たちはコントロールされます。

『アイ、トーニャ』の宣伝はまさに、スキャンダルの真実。でしたね。衝撃、真実。事件、襲撃、至上最大。良くない噂。醜聞。醜いできごとを押し出すような。そして、下品。

上記、日本のポスターで表現されているのは、トーニャのふてぶてしさ。座っているだけなのに、すべてを表してます。笑

一方、下記は本国アメリカのもの。
トーニャの目力がすごい。あっ、タバコ・・・。リンクで・・・。

日本とアメリカ、品について。

このあたりの表現の違いは面白いですね。同じことを伝えたいのだけど、国によりビジュアルが違ってくるのか、それともそもそも別のことを伝えたいのか。

 

みなさんの感想

メジャー映画に比べると公開場所はそう多くないし、上映館からはフラッと来たとか友達と恋人と観るとかのお客さんではないと思われます。

 

みなさんの点数は、たとえば『リメンバー・ミー』とか『アベンジャーズ』ほど高得点ではないが、悪くもない。中の上くらいかな。

よくない点数をつけた方は、共感できない、格差についていけない、また暴力が嫌なら逃げればいいのになど。登場人物がバカばっかりとか。←このコメントは多かったですね。終始低俗に嫌悪し、生理的に受け入れられない方もいたでしょう。そうだよね・・・。

また、本当の本当に真実が知りたい方にとっては裏切られた感があるのかも。

感じ方は人それぞれですから、それがすべてですよね。
私個人としては、嫌ならやめたらいいのにと思える方が心から羨ましい、と感じます。

それができたらねえと思うことばかりですよ。それができないから苦しい。実行力の問題かもしれないし、「パンがないならお菓子を食べたらいい」なのかもしれない。どちらにせよ、羨ましいです。

 

まとめ

個人的な感想としては、とてもすばらしい作品でした。本当は観るかどうか迷ったんだけど(ゴシップとかスキャンダルとかあんまり興味ない)、観ておいて本当に良かったです。

私の未熟さからか、映画の本質が宣伝からは感じ取れなかった。そして、トーニャに対する自分の記憶もあまり良いものではなかったので。危なかった。

 

これはスキャンダルの真実を描いている内容だけど、作品が伝えたいところ(伝わってくるもの)はそこではないと思いました。

いつも私の講座で、みなさんに向け偉そうに言っていることです。やーね。

当たり前のことは当然だから相手に伝えましょう、でも本当に伝えたいところはそこではないはずですよと。

例えば、取扱説明書を作るときには操作手順を記載します。でも、本当に伝えたいことは操作手順じゃないはずですよーとかね。

操作手順を記載する、記載すべき、と思っているうちは、伝わるものにはなりませんよーとかね。

 

私が今回気がついたこと。それは、トーニャは1回も「スケートを好き」とかって言わなかったことです。自分にはスケートしかない、とは繰り返し言っていたけど。好きとか愛してるとか、そいういうことは一言も口にしなかった。

自分にはスケートしかないから、生活のためにそれを続けていただけ。好きとかなんとか、そういう感覚とはまったく結びつかない別のこと。そこに思い至ったときに、非常に居たたまれない気持ちや喪失感に襲われ、もう何もしたくなくなりました。しかし、そう思うこと自体が上から目線で嫌なやつじゃんとさらに落ち込んでしまい。

立ち直った後は、好きということはすばらしいことなんだなと改めて思いました。「好き」ってとても複雑で難しく形のないことを表現している言葉なのだけれども、わりと簡単に共感して使えるし相手にも伝わるし。

 

好きこそ物の上手なれ。

 

 

これほんと、誰が言ったんだろうなあといつも思う。本当にそのとおりだと、今の私たちもこれからの未来のみんなもそう思うだろうよ。

好きになればいいんだよと言ったって、無理やり好きにはなれないもんね。どうしたって。人に言われてできることじゃないんだよね。子供だってわかる感覚。

「好きという気持ちは、大切な動機付けになる」、と思った日曜日でした。
トーニャよ、ありがとう。mi